検索脳と外部記憶、それからライフログとこのブログについて。
まずは検索脳。
昨日?の日経新聞の1面に興味深い記事が載っていた。
今年はソニー叩きで行くという方針、という噂の記事ではなく
左側のやつだ。
うっすらとした記憶で書くのでいつも通り記事の正確性が無いかも知れないが
流れとして、の話だ。
google創設者のラリー・ページ氏の持つ夢はgoogleの膨大な
検索網を人々の脳と接続させることだ。2人が話していて、
そういえばこの前行ったダウンタウンのピザ屋、おいしかったよね
名前なんだっけ、、という思考と同時に彼らの頭の中でgoogle検索が始まる。
彼らは名前を覚える必要がない、という。
INFOBARや±0で有名な深沢直人は、検索エンジンを使用しない、という。
デザインに必要なものは日常生活にいくらでも含まれていて、
何かをデザインする際に自分の頭の中からパーツをいくつか
とりだしてくればよい、と言う。
僕の頭はラリー・ページの理想とする世界の手前にいる。
僕は名前を覚えていない。検索する。思い出す。
脳とgoogleが繋がっていないのでとても不便だ。
いちいちPCにキーボードで文字を打たなくてはならない。
この様な思考回路が形成されたのは、まず検索エンジンの
特徴を見て検索結果を導き出しやすいキーワードの選び方などの
工夫の仕方を、- 今はハウツー本などで解説されているくらいだが -
体が自然に選択し、人よりも早く求めている情報にたどり着きやすい
という状況があったというのが僕の仮説だ。
ものごとを覚えない。ものごとが説明されている場所の目次の引き方が
早い。
つまるところ、百科事典かあるいは広辞苑を人より早く目的のページを
開くことが出来る、というだけの事なのだがweb上に存在するコンテンツは
百科事典を遙かに上回るために、何かを勘違いしているのだ。
年々子供達の運動能力平均値が下回っていくのと同じように、
自分で考えることのない人々がサーチエンジンの
発達によって増えていくのではないか、僕にはその初期症状が
現われているんだろうと思う。
次に書く外部記憶という概念もまた、つまるところ頭を使わない、
という事を助長している気がしてならない。
似たようなところで携帯が発達してから、私は人の電話番号を覚えなくなりました。
携帯の中のハードディスク?が私の記憶の肩代わりをしてくれています。
私は携帯をなんらかの事故で失ったり、壊したりしたときにてもとにアドレス帳がなかったら…ということをたまに考えます。
私が連絡できるのは実家と彼の携帯のみ。
災害時、そこと連絡がとれなかったら…と想像し、ひとりぞっとします。
便利さの弊害として異常時の脆弱さ。難しいところです。
ふーむなるほど。次に書いた外部記憶、にあたりそうですね。記憶を外部の装置にゆだねる、、
書いた内容は思い出という概念だけ考えていましたがたしかに一般的な事柄においても記憶あるいは考える、
一番まとめて言うと頭を使うこと を放棄している気がしますね、、
計算機があるから自分で計算をしなくなった
乗り換え案内があるから事前に路線も時間も調べなくなった
たとえ乗り換えを調べても自分にメールを出して経路も時間も覚えなくなった
内線をPCの付箋紙に書き込むので誰の内線が何番なのかPCを見ないと分からなくなった、とか。
大雪が降って電車が止まったときの東京の混乱と似ているか。。。
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