design thinking vs hardware innovation デザインシンキングとハードウェア・イノベーションの相性について考えた

デザインシンキングという言葉の定義は出来上がっていないものの、
それは人々が求めるものを総合的に提供する考え方だ、
みたいな話しだった。

というか説明していたsakakiもその全貌を理解していないというか、
説明しきれていなかったので
そうであったと思って話しを進めてみる。

少し時間が経ってから思いついたのは
その考え方ではハードウェア・イノベーションは
もう望まれていないのかも知れないなということだ。

ちなみに家電製品を製造するメーカーにおける
デザインシンキングというイメージで考えてみている。
ここで言うハードウェアは手に触れられる製品の部分と
捉えてもらって構わない。

紙のように薄く折り曲げられ巻ける表示デバイスを
数十年かけて発明し、発明してからその使い道を
考えてみよう、という手法ではなく、

既存の技術を組み合わせてそれを使い易く
かつそれなりに安く提供するという手法で
共通なプラットフォームの数を増やし
対抗し切れないレベルまで持っていっている
appleを見ていると、

それがデザインシンキングの成功例で
あたかもハードウェアのイノベーションは
不要のように思えてくる。

望まれていないかも知れないというのはそういう意味だ。

なおかつ、見込みの立たない
ハードウェアのイノベーションが
成功するのを待つ思考構造に、
デザインシンキングが対応していないように思える。

この考え方を、
ハードウェア・イノベーションを主体として
行って来たメーカーが持つことは
実は危険を含むように思う。

何故かというと
全く新しいハードが革新的に人々を救う、
みたいなシナリオが作りづらい。

デザインシンキングは
非常に水平分業型のメーカーに
とって相性が良くて、
当てはめるとすれば製品開発部門にだけ適用すべきだろう。

ハードウェアの研究部門に
これを当てはめてしまうと
新しい研究は次々と不要なものとされるという
流れになりかねない。

定義されていない言葉を架空の状況で捏ねくり回しているだけだが。
驚いたことに今hardware innovationでぐぐったら
How Apple kills hardware innovationという記事がトップに出てきた。
さすが俺ことSGOである。