False Memory フォルスメモリー

軽井沢に週末行っていて、その時何か忘れたが1時間くらいだけテレビをつけた
タイミングがあってその時に立花 隆の臨死に関するNHKの番組だった
中学か高校の時に臨死体験を読書感想文か何かの課題だったか、とにかく
自発的に読む感じは全くしないこの本を読んだ記憶があって、そうかそれからもう
20年弱経って、この人こんな年齢なのかとか、まだ臨死に関する事象を追っているのか
とかそういう感想と共に、番組自体はとても面白かった。

特に、ノーベル賞の利根川氏が出てきてFalse Memoryの説明をする行は面白くて、
間違った記憶でもそれを脳が本物と信じている、
言わば嘘発見器も効かない状態になりうるという話しだった。

幼少期の記憶が、写真を見た記憶である、というのは良く聞く話なんだけど
上記とは別に、
実際に被験者が写った写真を全く体験したことのない熱気球の
搭乗の場面に綺麗に合成し、それを何度も見せることで
熱気球に登るときに非常に怖かった、などという
コメントを引き出す実験とか、そうだよなあと思う。

それと似たような話があるなあと思って、
色々な人達に自身の身の上の簡略的な話をしていると
それがなんというか自分自身でも事実に思えてきてしまうみたいな状態。
無いだろうか。事実というか、それが本質ではないんだけど、
そこそこしか時間が取れない相手とどこまで話せば良いんだという時に
ある程度で説明して終わらす、そのために自分自身にとって重要な部分というよりは
「相手にとって」納得しやすい・説得力のある部分だけを話していくうちに
自分にとっての重要な部分が抜け落ちていくというか。
そういう感覚。ないですかね?

ありますね自分は。