村上氏が約二年半、アメリカのプリンストンに住んでいたときの話
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梅干し弁当持ち込み禁止・大学村スノビズムの興亡・アメリカ版・団塊の世代
アメリカで走ること、日本で走ること・スティーヴン・キングと郊外の悪夢
誰がジャズを殺したか・バークレーからの帰り道・黄金分割とトヨタ・カローラ・元気な女の人たちについての考察・やがて哀しき外国語〔ほか〕
忙しくても仕事がきつくても、その当時は全然苦痛ではなかった。・・・「好きなことをやっているんだから、だいたいそれでうまくいくだろう」というのが僕の基本的な姿勢だった。
とくに僕は終始一貫して「自分は自分、他人は他人」という考え方で生きている人間なので、そういう風に何もかもジェネラライズされてしまうと「そういうものかね?」といささか懐疑的にならざるを得ない。・・・でも居直るわけではないのだけれど、いったい誰の人生が間違っていないのだろう。
若いうちは、時間はいくらでもあるし、未知の言語を習得するのだという熱のようなものもある。そこには知的好奇心があり、何かを征服してやろうという昂りがある。新しい種類のコミュニケーションに対する期待もある。一種の知的ゲームでもある。でも四十を越して、この先どのくらい有効年月が自分のために残されているかということをそろそろ気になってくると・・・自分にとってもっと切実に必要な作業があるのではないかという気持ちが先にたってくる。そして、そいういことが気になりだすと、語学の勉強というのはなかなかできない。
僕の経験から言うなら、外国人に外国語で自分の気持ちを正確に伝えるコツは・・・
1.自分が何を言いたいのかということをまず、自分がはっきりと把握すること。そしてそのポイントをなるべく早い機会にまず短い言葉で明確にすること
だいたい頭を後ろにそらせて髪を洗うなんてていうことは、人間性に対する大いなる侮辱であるように僕は感じていた。だって、髪を洗われている時の人間の顔なんて絶対に馬鹿みたいなものだし、そんなものを上向きに世間に晒すのは恥辱以外のなにものでもないじゃないですか。
そういういろんなことがパッとうまく結合する啓示的な瞬間がいつかめぐってくるはずだと思う。まあ少なくとも、そういうことがきっと起こると思っていたほうが人生は楽しいじゃないか?
十人のうち八、九人が「まあ悪くないな」と思うより、大部分の人が気に入らなくても十人のうち一人か二人が本当に気に入ってくれる方がかえって良い結果をもたらす場合だってある。
僕は昔から、他人に与えられたものに対してどうしても真剣に取り組めないという困った傾向がある。
慣れないことは下手にやるものではない。するっとできることはするっとできるうちにやっておきなさい。