ジャミロクワイは1992年、イギリスのクラブ・シーンで登場する。その奇妙な名前と "Buffalo Man"  (日本ではメディシンマン)  ロゴ、曲に込められたメッセージ (それはみんなが思っていたことを代わりに言ってくれたようなものだと僕は思う。) は瞬く間に広がった。当時、80年代後半からロンドンのクラブ・シーンを担ってきた Acid Jazzや、トーキン・ラウドレーベルは退屈な様相を示していた。  フロントに立つVocalの個性や、演奏そのもののクールさが足りないと思われて いたその頃、When You Gonna Learn? でAcid Jazzレーベルからデビューした のがジャミロクワイである。 J.Kはこのシングルでこのように語っている。 You for helping break new ground in worldwide thinking. We need a change.  I have so much to say, but I think this statement from an anonymous native  American sums up my feelings more concisely..."Only when the last fish has  been caught from the sea will man realize that he can't eat MONEY!" (ACID JAZZ : Jamiroquai When you gonna learn? JAZID 46CD) この主張はもちろんこの後のシングル、Too Young To Die、ファーストアルバム Emergency On Plane Earthに続く。その名をネイティブ・アメリカンのイロクアイ族 (Iroquois)に、ちなんでつけたJamiroquai はSony Soho Square と8枚のアルバム 契約を結んだ。  J.K. to Iroquois: "The utmost respect to all of you because I know you are right." デビュー当時の評判は様々である。J.K.は、「スティービー・ワンダーの声と ジョン・レノンの心を持つ男」、多くの場合反対に、「ナイーブなアホ・白人の黒人 コピー」というものなど。その巨大な帽子の下の髪型や、ファッションセンスを かわれ雑誌の表紙を飾ったのもこの頃からである。  ドラムスにDerrick McKenzie が加わり、The Return of the Space Cowboy が 94年ヨーロッパでリリースされる。space cowboyのビデオクリップは見ただろうか? これは公式に販売されているが、J.Kのダンスはすばらしくかっこいい。これで ファンになった人も少なからずいるはずだ。 ツアー中に書かれた曲は荒削りなものが多いが、「後で聞いたら全然悪くない」 とJ.K.はMTVのインタビューで語っている。ジャンルでくくれないこのアルバムは、 いつ聴いても未来的でかつ懐かしい。The kidsは子供向け番組のテーマにも 使われたほど日本でも市民権を得た。 96年、m-beatがKissFMに持ち込んだDo you know where you're coming from がチャートに現れた。当時流行のドラムン・ベースにJ.Kの女性soulヴォーカルの ような歌声がラジオで流れる。ジャミロクワイは自分たちのスタンスを失ったのか と思ったファンも一方ではいたかもしれない。  しかし9月にリリースされた3rdアルバム、Travelling Without Movingは彼ら自身 への敬愛と執着の現れた作品だった。フェラーリのロゴにメディシンマンを乗せた アルバムジャケットが店頭に積まれ、驚異的な売り上げを見せた96年後半。 Virtual Insanityは、耳にしていない日はないというくらい街の音となる。その奇妙 なビデオクリップは、現在・グラミー賞よりも 時代を反映していると言われる MTV AwardsでBest videoを受賞。Sony MDのCFにもJ.K. が起用され、日本では 人気・知名度ともに著しく上がる。 (JamiroquaiがJ.K.の名前だと誤解する人も多く 見かけるようになる。悲しい。) ミュンヘン・ディスコ、ホワイト・ソウル、レゲエ、 フロア・グルーヴ、ジャズ・ファンクなど様々なジャンルを飛び越え、幅を広げた。  「クールさを失うことなく最もメジャー化したアーティスト」  ジャミロクワイにふさわしいほめ言葉だ。 98年、Gozilaのサントラに収録されたDeeper Undergroundがリリースされる。 方向性が少し変わったかな?毎回のことだがそう感じる。そしていつも通り予定 より遅い発売だった。 Canned Heat、"Boogie Wonderland" このシングルにはいったいどれくらいの 期待がかけられていたのだろう? "I want something that makes me dance. I want to see people boogie to it.  It's the only music I can sing. All that indie stuff, thrashing guitars,  it's not my scene." Stuartがバンドを抜け、ジャミロクワイの魅力のひとつである才能あふれるベース が消えてしまった。アルバム収録トラックをいったんすべてボツにし、作り直さなければ ならなかった。しかしJ.Kはまたもクールさを失わず、Synkronizedでは70年代の空気を 混ぜ合わせ歌い、 踊る。 そして2001年。2001年宇宙の旅になぞらえたタイトルのアルバム、A Funk Odyssey がリリースされる。自宅に構えたスタジオで、プログラミングを多用した、「デジタルだけど 暖かい」新しいサウンドが生まれていた。新しいメンバーとなったニックやロブもアルバム で重要な役割を果たしている。このアルバムをひっさげてのツアーは2001年の夏から 始まり、すでに1年以上続けられている。ツアー中、デビュー当時からのメンバーToby が脱退してしまったが、 ジャミロクワイは飄々と、自由に時代を・世界を闊歩する。

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