Jayが自らこれまで発表した5枚のアルバムについて、イギリスのQ Magazineの2007年2月号で語った。
The Eco-Warrior Album - Emergency On Planet Earth
環境の戦士。「音楽的には、自分のヒーローであるRoy Ayersなんかを見習いたかった。彼らは自分が聞いた音楽の中で弦楽器とファンキーなギター、金管楽器をうまく融合した最初の例だった。乱雑なアルバムだったけど、あふれるくらいのアイディアと細かいところまで練られていた。続きを読む
The Drug Album - The Return Of The Space Cowboy
ドラッグ。このアルバムを書くにあたってオレはひどい憂鬱の中にいた。ドラッグを吸い過ぎてフラフラになってたけど、単にそれだけが理由じゃなかった。マスコミの反発が始まりだしていたし、そんなこといままで体験したことがなかった。このアルバムに関してオレが覚えていること、ドラッグを除いて覚えていることと言えばSpace Cowboyのビデオさ。あれは最初に音楽と映像を素敵な友情で結んだようなものだった。
The Blockbuster Album - Travelling Without Moving
大ヒット。オレはこの頃不機嫌だった。大きな理由は前回のツアーが終わったからで、それは苦痛をもたらすのに十分だった。(翻訳に自信なし・・)
The Acrimonious Album - Synkronized
辛辣。バンドはこの段階でぐったり疲れ切ってたくさんの混乱があった。自分の家にレコーディングスタジオを建てて録音をちょうど開始しようとしたときにStuartがバンドを去ると言い出した。なぜかって?彼はバンドのフロントマンになりたかったんだ。彼は自分の事をやるために行ってしまって、オレはどうすることも出来なかった。それでこのことについて曲を書いたんだ。(Synkronizedに収録されているKing for a dayががバンドを去ったStuartの事について書かれている)
The Overlooked Album - Dynamite
見落とされた。このアルバムでオレはアメリカでの成功を求めていた。人々はTimbaland(Hip Hop / R&Bのプロデューサー。最近ではJustin Timberlakeのアルバムなど。)をプロデューサーとして使えって言った。代わりにオレはMike Spencerをプロデューサーにして、全てはうまくいった。と少なくともオレは思ったけどレコード会社はうまく宣伝しなかった。それで発売されて、すぐに消えてしまった。
最後にJayは「無職の状態にしばらくなりたいんだ。それでクリエイティブな羽を伸ばせる状態にしたい。それと、出来ることならオレのおかしな帽子と車の趣味について誰も話さないようなところにいたいね。そしたらもっとマシになると思うんだ」と語っている。