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NY05: from New York to everywhere NY05: from airplane Mykonos town ミコノス・タウン 細い路地で構成される港町 Athena 2 アテネ 2 W Seoul - Walkerhill Fabulous Room W Hotel Wホテル ソウル・ウォーカーヒル The Dubai Mall ドバイモールはおしゃれかつ最先端な感じ。


title 06tanzania: Arusha and African standard (2006年9月11日)

そう。僕はアフリカの現状を目の当たりにすることになる。

2時間ほど遅れて到着した便。空港を出るとまず誰もいない。
程なくして迎えに来たウラサ氏は小太りで妙に愛想が良い。

地平線まで続くひたすら直線の道はアフリカでは当たり前で、
そこには車線すらない。
DSC00805

枯れた草が広がる大地と、遠くに見えるキリマンジャロとメルーは
雲に覆われていてその頂上はうかがい知ることが出来ない。

時折道路に段差がもうけられ、否応なく車が減速すると
赤茶けた土地に赤茶けた色の煉瓦で作られた質素な家が建ち並び、
それらは特に広がりもなく点在し、何をしているのかよく分からない人々が
行き交うか、あるいは座り込んでいて、これがこの後どこでも見かける
アフリカの街、あるいは村の光景だという事がわかる。
DSC00761

走っている車は9割くらいが日本車で新車という概念は無さそうだ。
バンにはOX工業、トラックにはOX運送、果ては元々は救急車だった
車が走っている。日本からどういった経路でここに到着するのかはわからない。

車以外でブランド物が認知できるとすれば、コカコーラだろう。
この国では液晶テレビは売ることが出来ないと思う。
そもそもテレビ放送は電波が来ているのかもわからない。

PCを持っている人間はどれくらいいるのだろうか。
PCの無いところにmp3プレーヤーは存在し得ない。
この国ではmp3プレーヤーを持っていても何の意味もない。

家々はいくらでも砂が入り込みそうな構造だし、
電力もあまり期待できない。信号という概念は無いだろう。

ガソリンだけは先進国並みの値段になっている。人々の月収は2006年で
4000円程度のようである。
日本と比べて50倍程度の物価の差があると考えて良い中で、
車を所有している人間は相当に特殊だろう。また、他のテクノロジーに
比べて携帯電話が思った以上に普及していたのだが、これを持っている人間も
やはり特殊な環境にいると考えておかしくないだろう。

そんな中、中心都市Arushaで降り立った僕たちはまず150ドルの両替を試みた。
その結果、両替所のタンザニアシリングが無くなった。

当然である。20000シリング~40000シリングが月収である世界で、
1$=1300シリングx150。合計20万シリング。
下手をすれば年収に値する、半年は人を雇える額である。
日本で考えれば200万円くらいになる。非常識この上ない。
「1人30$両替すればちょうどいいと思うよ」と発言したツアーコンダクター、
ウラサ氏は完全に腹黒決定である。ぼったくる気が無ければこんな
アドバイスはしない。

両替所に現われた女性は驚きを隠せず、
全員の分を建て替えて両替していた僕は急遽100ドルだけで良い、
と両替所の女性に告げる。注意深く作業を見ていると
1000シリングの10枚束を9枚にしている。

両替所を取り囲むように物売りが僕らをマークする。
非常に危険な状態だ。何せ半年分の給料を持っている。
しかしその時点ではタンザニアの年収もさほど認識しておらず
あまり危険度を認知していない友人もいた。

しかし辺りは微妙な緊張。にもかかわらずウラサ氏は
僕らを置いてどこかに消える。
その瞬間物乞い達が取り囲む。
当たり前だ。ウラサは分かってそれをやっている。
ありえない。恐らく地元に顔を立てるためだろう。

待っているはずのトヨタ・ランドクルーザーは僕らの荷物と共に
消えており、みんなの緊張は極限になる。
何せなにも分からない街で誰も知らない状態で物売り達に囲まれ、
その上車が消えたのだ。

ほどなくしてウラサがランチボックスを持ち現われ、
車はガソリンを補給していることがわかる。
それにしても、ひどい。海外で緊張したのは久しぶりだ。
ウラサは完全に黒いぼったくりであることが僕の中では
この時点で確定になったのは言うまでもない。

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2006年9月11日 17:21

title 06tanzania: NRT-BKK-ADD-JRO (2006年9月10日)

出発前の5人
DSC00029
フライトも長いので全員メガネ。

DSC00030
NWのboeingの後ろに。
成田空港で虹を見かける。
成田からバンコクのフライトは主にNintendo DSと旅日記。

DSC00039
Bankok到着。ロストバゲージ対策で、ここでいったん荷物を受け取るよう
手配したのだが成田空港の地上アテンダントが史上最強に態度が悪く、
いまいちどうすればよいのか分からず。
imigrationでどうすればよいか聞き、迷ったあげくものすごく小さな
エチオピア航空のカウンターを見つけて話してみるととても親切な対応。
baggage claimで職員が引き取って再度エチオピア航空に乗せてくれるとのこと。
とりあえずは一安心。

この後マイル加算のための半券が行ってしまうなど一悶着。


エチオピア航空に乗ると8割以上は黒人。
アディスアベバはアフリカのハブ空港で、ここを経由してアフリカの諸国に入ることが
多いようだ。
しかしあまりに寒くinox早速風邪を引きアディスアベバでダウン。

キリマンジャロ行きは事前の評判通りdelay。
寝たりして待つ。
そうこうするうちにキリマンジャロ国際空港に到着。
DSC00223

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2006年9月10日 13:07

title 06Mt.Fuji (2006年8月 6日)

富士登山記録 06.08.05-06
climbing_fuji_route.jpg
GPSによる行程トラッキング by.Lio feat Google Earth(ただし剣が峰部分のデータ無し)

■前日にLioちゃんfromベルギーが参加決定。大丈夫か
■エミクロが血迷い電車に遅れる
■おかげで焼きそば前島(計画参照)ぎりぎり、食べた後超ダッシュ
 でぎりぎりバス18:05→ 19:35に飛び乗る→すでに汗だく
■登山時間
20:55富士宮口 五合目出発 エミクロくん登れるのか疑惑
21:26 6合目到着 ジャンキーふらつく 「重心がおかしい」(ジャンキー談)
22:06 7合目到着 ジャンキー余裕発言 「やべー思ったより楽だ」(ジャンキー談)
22:35 7合目発 ジャンキーザックの調節がかなりおかcことにinoxが気づく。レベルアップ
23:20 元祖七合目到着 マリオカート inoxの圧勝
24:15 8合目到着 休憩時にWコンソメパンチ ポテトチップスExplosion?九合目だっけ?
25:00 8合目出発 
25:45 9合目到着 ここまではかなり良いペース。ご来光は4:55。
03:00 9合目かなり休憩後、ちょっとおなかが減りカップラーメン500円を食べ出発・・*
05:00 浅間神社(山頂付近、富士宮口の終点)到着 ぎりぎりご来光を西側斜面から拝む。
05:45? 剣ヶ峰(3776m最高標高地点名)にジャンキーを残し到達
07:57 下山開始 
11:00?? 登山マラソンに抜かれる。このあたりで超疲労困憊。
11:39 御殿場口到着 休憩後タクシーで御殿場駅へ(4人だとバスより安い)
12:30 御殿場駅到着 12:41発御殿場線→東海道線東京行き
15:00頃 東京付近到着

行きの電車はマリオカート対戦。
5合目でMaruに会うも、エロMaruは女の子を連れて先に出発してしまう。

前回2002年?に行ったときはおそらく平日で、今回は天気が悪い日が続いた後の
晴れた土日ということで今回は人の数が桁違いに多い。それでも
9合目までは本当に良いペースで行けた。途中休憩を入れて
ペースメーカージャンキー・エミクロ・イノウエ・Lioちゃんの順番。

*9合目で休んでいてかなり体が冷えたためカップラーメンを食べたのだが、
食べ始めようとしたところで突然山小屋のにーちゃんがもう行かないと
渋滞でご来光見えないよ~発言。次々と休んでいた客が出発。

「客掃いて回転率あげるためのブラフだろ」と黒イノックスが分析、
のんびりカップラーメンを食べた(エミクロ除く3人)直後にジャンキーがfeel very sick.
休んでから山小屋を出るとマジでジャムってるz!
ブラフじゃなかったのかよ!!やB!!

注:
「ブラフ」 はったり。こけおどし。特に、ポーカーなどでみせる、はったりの態度。
「sick」 chicだと今夜はジャズバー、みたいな雰囲気だがsickなのできもい。という意味。
「ジャムってるz」 traffic jam すなわち渋滞、渋滞してるぜの意味
「やB」 やばい → やべー → やB。 やばいの変化系。

そして富士宮口というレア登山道にもかかわらず、9合目から山頂まで、
ご来光を求めた登山客で完全に渋滞。山小屋も出られないくらいの渋滞で
登山道も上ったり止まったりもっさり。

mars shine

普通に歩けば60分で山頂に到着するが、ここに120分以上かかり
ベスポジではご来光が見られないという事態に。
しかし9合目~山頂までの登山道で、東側の山肌から
地平線が明るくなり星がやがて見えなくなっていく
様子は綺麗だった。

shadow of mt.fuji

結果的に山頂付近の西側斜面をあがったところでぎりぎりご来光に
間に合い太陽が綺麗に見え、そのうえ背後に山の影が見られて良かった。

mtfujimorning.jpg

実はこのときジャンキーはかなりグロッキー。
9合目からの登山も相当きつかったようだ。
この時点ではイノウエは超余裕ぶっており、ジャンキーの荷物を持ったくらいだった。
結局荷物を浅間神社わきの山小屋に置いてジャンキーを休ませ、
Lioさん、エミクロ、イノウエで山頂の観測所に登り、

kengamine

記念撮影後休憩のために山小屋に戻るも
9合目のラーメンが効いていたのかLioさんも若干グロッキー。
完全に元気だった不肖イノウエも、かなりねもい。
そしてなぜかウイダーインを飲んだ直後に吐き気?か何かが到来。

注:
「ねもい」 とてもねむい様子。とても寒い場合はさもい、なども利用できる。

あまりの吐き気に寝転がる必要を感じ山小屋からふらふら出て日向で寝ころんだら
寝てしまう。気がついたら1時間~2時間くらい寝ていたようでエミクロが超心配していたようだ。
すません。

mtfujigotenbaguchi.jpg

寝起き直後に下山出発。御殿場口を目指す。
そこここに自衛隊がおり、時折テレビ局も。登山マラソンのようだ。
しかしもう、このあたりでもまだ全然気分がわるかったため
時間記録とかをやらなかった。
遙か彼方に見える下界の御殿場口、これがくせ者で5合目ではなく2合目まで
降りなくてはならないのだ。

6合目あたり?の砂走りまでがんばれば後は楽か、と思って頑張って降り、
しかし砂走り、記憶より遙かに降りにくい。砂がすごい。

mtfujidash1.jpg 確かに今までの登山道よりは楽。

ありとあらゆる部分に砂が入り込み、
結局塵埃試験をやったのか、というくらいデジカメなんかにも
超微細な塵埃が入り込み、髪の毛とかももうがちがち。やばい。
そしてその砂走りが見渡す限り続いており、地平線あたりに
御殿場口が見える始末である。

その上、上からは登山マラソンのランナーが超速で降りてくるため、
4合目~2合目付近では歩きやすい中央の砂の柔らかな下山道が
マラソンコースとして確保されてしまい、かなりヒザに負担のかかる
堅い道を降りなくてはならなくなった。

もうほんと、きつかった。
あれは結局高山病だったのか?というラーメンを発端にした問題を
議論したのだが、確かに下山後特に問題が無いことから高山病と認定。

よくみんな降りられたと思うし最終的には全くグロッキーにならなかった
エミクロくんはたいした物である。

いやみんなすJよ。悪かったよ。あんな砂走りがきついものだとは
調査不足だよ。そしてみんな睡眠不足だな。
たぶん高山病は睡眠不足とかからくるよ。


今回の富士登山の計画

■ルート 頂上までの最短ルート富士宮口 → 山頂でご来光
 → ダッシュで砂走り下山 → 御殿場口5合目 国土地理院地図
■ポイント 五合目で高所に慣れる 18時-19時半着 → 出発20時-21時
■交通手段 行きの電車
 品川 東海道本線快速アクティー(熱海行) 13:41-15:12 [91分] 97.8km ↓
 熱海 東海道本線(東海)(浜松行) 15:15-15:52 [37分] 41.6km ↓
 富士 身延線(西富士宮行) 16:05-16:22 [17分] 10.7km ↓
 富士宮  2520 円 
■夕飯 富士宮駅付近 やきそば名産地
 富士宮焼きそば学会 やきそばマップ → 投票No.1前島に決定
■交通手段 富士宮口新5合目までのバス
 http://www.fujikyu.co.jp/bus2/fujitozan/tozanbus.htm#miya_fuji
 富士宮→ 5合目 1970円
 17:05→ 18:35 OR 18:05→ 19:35
■登山開始 20:00-21:00
 (マリオカートでどちらかが10勝してから?)
■頂上でご来光 日の出 4時50分くらい。
■下山開始 御殿場口 
■新5合目から駅までのバス 御殿場口の場合
 0900 →0930 1000 →1030 1100 →1130 1200 →1230 御殿場→帰宅
■駅までのバス 富士宮口の場合 (オプション 迂回して下山の場合)
 0930→ 1035 1030→ 1135 1200→ 1305
■帰宅後 砂走りの動画をYouTubeにうp

以上。

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2006年8月 6日 15:09

title 06Naoshima: booking, booking, and booking (2006年7月12日)

直島に行くのなら予約は欠かせない。 まず都内から行くなら飛行機の予約である。 高松空港までのチケットが必要だ。 空港からフェリーに乗るためのとこでんバスは予約不要。 全日空のホテルの前で降りればすぐにフェリー乗り場が見える。 フェリーも予約不要。普 >>>
2006年7月12日 17:13

title 06Naoshima: artificial architecture (2006年7月12日)

architectureという言葉はartificialから来ているわけではないよね?
さて、そろそろ写真をupするのも飽きてきたので直島の建物を見て感じた雑感。

直島は岡山と香川の間の瀬戸内海に浮いている島で、
香川県なのだが地理的には岡山からの方が近い。
島には三菱マテリアルの精錬工場がありそれ以外
これといったものが存在しないところに、
安藤忠雄がベネッセハウスという建物と地中美術館を建設した。

これらの建物は島の裏山に位置しているように見え、(実際は知らない)
明らかに周りの山を削って作られた人工物という印象を受ける。
基本的に人間が住む=自然が損なわれるが、ともかくここには
あまり自然との共存、的な意識が感じられない。
原因の1つは設計における鋭利さである。

chichu art museum ticket center

建物そのものが作品ですので、写真を撮らないでください
と言われる地中美術館でその傾向はもっとも顕著だ。
この建物には基本的にカーブが用いられていない。直線で構成されている。
(と思う)

通常人が触れると考えられる場所には、建物であれ製品であれ
R、すなわちroundをつける。製造上この方が作りやすいという
理由もある場合が多いが、Rが無いと危険なのだ。

例えばauのデザインケータイであるneonの筐体を見ても分かると思うが、
丸みを帯びないデザインにおいてはデザイナーは無駄を省いた
直線形状を出来る限り望むことが多い。
しかし安全上、あるいは量産時の問題からRを施す必要があり
neonでも当然、90度の直行した面で製品が構成されることはない。

例えば今、手に持っている円筒形のコップの口がすっぱりと
竹を割ったような形状とすれば、そのコップで
何かを飲むときに唇が切れる。
手で握っているマウスが完全な直方体であればその角で
怪我するかもしれないし、目の前の机の角が完全に90度だけの
角で成立しているとしたら、子供が目をぶつけて切るかもしれない。

そういった配慮の元、完成したモノに鋭利さが失われてしまう
としてもある場合はヤスリを丁寧にかけ、ある場合は成型する金型を
加工してRが施されているのが普通だ。

これに対して安藤忠雄の地中美術館はコンクリートもしくは鉄?によって
ほぼRを取らない状態で、あるいは本当に必要最低限のRで
建物が構成されており、本来人を助ける役割である手すりすら
角が尖り自然どころか人すら拒否するような印象を持っている。

地中美術館に関してさらに言えば、建物の材料も非常に無機質で、
コンクリートと結晶が見えるような鉄、あるいはガラスで構成されている。
直島に現存する木造平屋建ての家を保存した家プロジェクト
と真っ向から反するようなコンセプトで、
James TurrellのOpen Skyもopenなのかclose(切り取っている)なのか
どちらかわからなくなった。

到着した日にベネッセアートサイトを解説してくれた
ホテルスタッフによれば
「私が小学生くらいの時に建ったのですが、
当時は否定的な感情しか在りませんでした」
ということで必ずしも町民の理解を得たものではなく
あくまで外の人間が作り外の人間が来る
場所なのがこの直島の目玉である2つの建物であったことは
想像に難しくない。

そのスタッフが「何の因果か島に戻ってきてこういう仕事に
就いてから、世界からも注目される直島という島がもっと
隙になりました」と次に続けていた。

時間を経て建物に植物が侵入しだし、
以前よりはまだましになったのかもしれない。

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2006年7月12日 15:41

title 06Naoshima: works outside (2006年7月11日)

Walter De Maria Seen/Unseen Known/Unknown Yayoi Kusama Pumpkin Kazuo Katase Drink a Cup of Tea Shinro Ohtake Shipyard Works >>>
2006年7月11日 15:18

title 06Naoshima: meshi (2006年7月10日)

syoyu udon with ajinomoto serviette ship gazpacho sawara no grill的な何か maruya menu kaeru face gochimasa asameshi momo from s >>>
2006年7月10日 20:00
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