Random Images of travell >>
Santrini Oia イアの街並みとか。 Yantai 煙台到着。 W Seoul - Walkerhill 666 Wホテル ソウル・ウォーカーヒルの光で演出された廊下 Church of Panagia Paraportiani ミコノス島 - パラポルティアニ教会と夕日 06tanzania: Mt.Meru climbing 1stday
Design District Helsinki 1 ヘルシンキ デザインディストリクト デザインに特化した店舗の集合体1 Carrefour 1 中国のカルフール1 電動スクーターからお総菜まで 物価がよくわかります 06Kanazawa: 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa 金沢21世紀美術館 常設展示 Aomori Contemporary Art Centre 国際芸術センター青森 1800 サントリーニ島・イアのかなりおいしいレストラン ARABIA factory shop イッタラのアラビア工場に行った。写真。
NY05: from New York to everywhere NY05: from airplane Mykonos town ミコノス・タウン 細い路地で構成される港町 Athena 2 アテネ 2 W Seoul - Walkerhill Fabulous Room W Hotel Wホテル ソウル・ウォーカーヒル The Dubai Mall ドバイモールはおしゃれかつ最先端な感じ。


title 06tanzania: Mt.Meru climbing 1stday (2006年9月17日)

mt.meru from etiopia air
飛行機から眺めたメルー山。標高4562m。

さて、メルーシンバロッジで目覚めご機嫌な朝食を食べた後、
10時半に迎えに来るウラサご一行を待つ。しかし来ない。
prucがトップアップしたGSM携帯で連絡するとあと5分で来るという。
結局30分くらい遅刻で到着。

その間に日焼け止め、虫除けを全身に塗りたくる。
何せマラリアが怖い。

pruc:【人名】プルック
prucの本名はホリウチ、である。
ある日山小屋でホリウチくんのデジカメの中身を
JankyのPCにバックアップ作業をしていた私(わたくし)inoxが
ホリウチ→ポリウチ→poriuchi
というフォルダ名を作るのが面倒だったため、
poriuchi略してpruc(ピーアールユーシー)というフォルダを作成した。
このフォルダ、後で何のフォルダか一瞬分からなくなるわけだが
読むとプルック、である。このようにしてホリウチくんのあだ名は
プルックとなったのである。

つまり正確にはこの時点ではプルックは
ホリウチ、であってまだプルックになっていないのだが、
便宜上プルックで話を進めることにする。

メルーシンバロッジからArushaの国立公園ゲートまでは本当に数分で、
ここで入場作業などをウラサ(=後に現地人にばれないよう、石塚さん
という符号で呼ばれることとなる。ウラサのファミリーネームがグラッドストーン
だったため。)が行う。

06tanzania_meru1_09.jpg

ポーターが持つ荷物の重量チェックなどがここで行われており、
欧米人の団体も到着していた。ちなみに心配性のジャンキーとmaruは
長袖長ズボンに砂利よけなどを装備していたがinoxはTシャツ+スニーカーソックス
というなめた格好で、それいいの的な視線を浴びていたのだが、
欧米人の団体の中に40を超えたと思われる男性で短パンにタンクトップ
という人物がおり、(彼はフレディと符号化されたわけだが)
フレディあんな格好だし全然Dジョビだよとinoxが弁明することになる。
しかしフレディと同じようにinoxDジョブと疑われ、結局意味無い。

06tanzania_meru1_02.jpg


Dジョビ:大丈夫→だいじょうび→Dジョビ
Dジョブ:大丈夫?→大ジョブ?→Dジョブ

ちなみにフレディ一行は別のルートを歩いたようでこの日、山小屋に
先に到着していた。

ごおgぇ先生におしえてもらったもん!
と叫ぶinox。inoxは事前にgoogleで調べていた写真で、
このルートは短パンでもおkだと言う結果を導き出していたのだった。

ごおgぇ先生:
googleが教えてくれたのこと。
googleとタイピングしてそのまま日本語変換してみよう。
ちなみに日本語発音するとゴーゴェっとなってしまい
吐きそうな印象を与えてしまう。

再度車に乗り、Momera Gateまで進む。車で30分ほどか、
シマウマやイノシシ、水牛?とその周りにいる白い鳥(共生しているようだ)
を見かける。途中乗っていたランクルがハイエース追い抜き時に
接触しかける。まじであぶない。
inoxは目撃できなかったのだが伝説の幻獣キリソがいたようだ。

キリソ:
キリンのこと。inoxがどうしても見たいと思っていた幻獣。
ンとソがうまく書けない人って大人になってもいる。実際。
たぶん書き順とかが間違っているのだ。

06tanzania_meru1_05.jpg
そんなこんなでMomera Gateに到着。ポーターに荷物を預ける。


06tanzania_meru1_03.jpg
1人15kgまでポーターが背負うのだが、僕らの荷物はそんなに重たくなく、
ザックと一緒にキャベツや卵などの食材、あるいは灯油、食器、
様々な道具を一緒くたにビニールの袋に入れられて一緒に運ばれることに
なっていた。

06tanzania_meru1_06.jpg
登山者名簿に名前を記入し、ガイドとレンジャーに挨拶して
歩き始める。予定よりかなり遅かったように記憶しているが定かではない。

mt.meru from momera gate
モメラゲートから眺めたメルー。山頂は雲で見えない。
どんより曇ったデーゲーム。

まずは右側に疾走するイボイノシシの親子発見。
遠くには水牛も。
と思いきや登山道の右にいきなり水牛出現。逃げる。

ルートは2つあり、5,6時間かかるジャングルの中を通る方を選択。
それほど勾配もきつくないのだが3時間も歩いているとどんどん疲れてくる。
暑くなりみな上着を脱いでinox勝利宣言。

06tanzania_meru1_04.jpg
小川を超え、ジャングルを進む。
動物の糞がたくさん落ちている。

06tanzania_meru1_10.jpg
この大きいのは象のもの。水場と草のある場所を移動しているようだ。
途中で森が開けた場所があり、象を数匹見かける。

鹿や白黒の猿を横目に上り続け、
隊長がカメレオンを空腹のあまり食べそうになり、
06tanzania_meru1_11.jpg
慌てて全員で止める。

不思議な木の根の下で昼ご飯を食べ
jambo meru>

棘のある草に隊長が触れて毒にビビリまくり、
ペースが遅すぎて日が暮れる、という指摘をレンジャーに受け
後半はペースアップして歩き続けること4時間あまり、
開けた場所に到着。
06tanzania_meru1_07.jpg

休憩し歩き続けること1,2時間、急に平坦になったメルークレーター
06tanzania_meru1_07.jpg

を抜け、日が暮れる前に最初の山小屋Miriakamba Hutに到着。
結構疲れている。標高は2500m。
06tanzania_meru1_07.jpg
山小屋はソーラーパワーでランプの点灯をしており、
水も潤沢にある。2段ベッドが完備され作りもしっかりしている。
ここまでの道は特殊な車で来ることも出来るためか。

ポーター達は2,3時間しかかからないルートを選んで上ってくるとのことだった。
このとき既に到着していたと思う。

太陽が沈み始めた頃雲が無くなり、頂上が見えてくる。
06tanzania_meru1_07.jpg

この後食材が無くて借りた、とかコックが言っていた夕飯を食べる。
ここでもズッキーニスープが出たがおいしかった。
食器は金属製、おそらくステンレスか。さほどきれいな感じはしない。
コップは計量カップ。
大学の教授にもらったチタンのコップを使うことにする。
ミロを飲み、信じられないくらいゼリー状の人工的な色のケチャップを使う。

DSをやって就寝。

続きを読む 
2006年9月17日 12:27

title 06tanzania: ethiopian air (2006年9月16日)

少し脱線してエチオピア航空についての写真を適当に集めてみたので
書いてみる。

ethiopian_air_01.jpg
エチオピア航空のチケットはこんな風にエキゾチックなイラストで
便名や行き先、名前は手書きだ。中には英語とスワヒリ語で
注意書きが書いてある。

ethiopian_air_02.jpg
バンコクで便を待つ時点から周りの雰囲気が違う。
乗客の8割以上がアフリカン。
見慣れている注意事項を流すビデオも、出てくる人物が
アフリカンなので一瞬驚く。

ethiopian_air_03.jpg
アナウンスは最初におそらくスワヒリ語、次に英語。
スワヒリ語のアナウンスはなぜか低い男性の声である。
当然シートにもスワヒリ語、英語で説明。

ethiopian_air_04.jpg
これはエチオピア→タンザニアへのボーイング737に搭載された
ソニー製ビデオデッキとおそらくフライトレコーダ。

フライトアテンダントは女性が一部、麻のような薄くきれいな民族衣装風の
服装をしており優雅。

乗客の多くはブラケットを頭からかぶり、眠る。あまり見られない光景だが、
ネットなどでいくつか文章を見ると彼らは幼い頃から毛布を頭からかぶせられ
育てられるため、これが一番落ち着く状態のようだ。

ethiopian_air_07.jpg
ちなみにこの毛布がかなりかっこいい。一部の乗客はこの毛布を当たり前のように
肩にかけ、そのまま飛行機を降りて帰って行く。
タンザニアで感じたのはとにかく、乾期だったためもあるのだろうが
砂っぽさ。頭から毛布をかぶせるのは
砂を防ぐ工夫なのかも知れないが定かではない。

ethiopian_air_05.jpg
エチオピアの首都、アディスアベバからは地図の様に多くのアフリカ各国
への便が飛ぶ。

アディスアベバからの便がかなり日常的に遅延するのはこれらの便を待ってから
出発するせいかと思われる。

もう一つ特徴的なのは、早い物勝ち精神。
半券に書かれている座席番号は適当で、早く乗った人が座る。
もちろんそれは一部の人なのだが毎回それでちょっともめたり、
ドミノ式に違う席に座っている人がたくさんいる。

ethiopian_air_08.jpg
、とにかく我先に乗ろうと
乗客は搭乗ゲートに入り口に群がる。そしてずるこみ(これは主におばさん)
が発生する。1列に並ぶと言うことをしないので放射状に。

ethiopian_air_06.jpg
機内食はそれなりで、今となっては珍しいプルタブ式のジンジャエール。
帰りの便ではヨーグルトの容器が泥で汚れていたりしたが、すでに
そういう事になれていたので普通に食べた。

スワヒリ語は基本的に象形文字に見える。
風邪を引いた隊長がチャレンジした象形文字を表現した写真
ethiopian_air_06.jpg ethiopian_air_06.jpg

ちなみに最後の文字、矢がささってるんですけどw
矢がささってないバージョンもありました。

ちなみに毛布はかっこよかったのでもらってきたw

続きを読む 
2006年9月16日 18:13

title 06tanzania: Ngorongoro to Arusha, Meru simba lodge (2006年9月15日)

ンゴロンゴロクレーターとお別れした後、行きと同じ道でアルーシャへと帰る。

african road created by Japanese
そう言えばクレーターからアルーシャまでの
道路は日本が造ったらしく(政府開発援助か?)非常にきれいで、
快適だった。ネットで調べていた情報が古かったためかンゴロンゴロまでは
未舗装の道が続きかなりきつい、と認識していたためこれは非常に助かった。

運転手は相変わらず寡黙でMaruが何度か話題を振るが
数センテンスで会話が終了する。
もう一度スネークパーク、あるいはマサイミュージアムという
ぼったくりの館と思われる場所に寄ろうとする。

無理矢理車を止められるがが全員で拒否。
突然車を降り、何があったんだと聞くとSomebody has my bagとか
意味の分からない下手な言い訳をして帰ってくる。

アルーシャの街を通り抜け、メルーシンバロッジに向かうが場所がわからない、
と言い出し、準備の良い隊長が持っていた電話番号にかけるも今度は
携帯のチャージが足りず、車で20分ほど走りようやくチャージ、
無事到着する。

Meru simba lodgeはサイトの写真でもわかる通り非常にきれいなところだ。
オーナーのスイス人女性もフレンドリーで
きちんとお湯も出るし、食事もおいしい。
中でもズッキーニのスープはかなりおいしく全員がおかわりをして
きれいに平らげる。

タオルや食器はIKEAで統一されそこがアフリカであることをほんの少し忘れる。
Arushaの国立公園への入り口から車でほんの数kmだし、
キリマンジャロの登山口へも1時間半で行けるので場所も良い。

meru simba lodge
食後にはコーヒー、ホットミルク、ココア、あらゆる飲み物が用意され
バナナケーキまで出た。暖炉には薪がくべられ、
オーナーがもてなしてくれる。

しかしそれ故に周囲との格差を余計に感じてしまう状態になる。
非常に丁寧に管理された芝生、宿泊客が通るたびに
砂の足跡が残る磨かれた黒いテラスがあり、
その敷地は丁寧に隠された有刺鉄線と生け垣で覆われ、
入り口は鉄門で閉ざされている。
ポーターはアフリカンでラフな格好をしている。そこまで管理できないのだろう。

ひとたびロッジから出ると今にも草が浸食してきそうな未舗装の凹凸の激しい
道があり、道の脇には雨風をぎりぎりしのげる煉瓦造りの家がぽつぽつと
存在し、洗濯物やぼろぼろになった靴が無造作に乾されている。

自動車が通ること自体が珍しいのか幼い子供は車に向かって手を振り、
ある程度年齢がいった子供は軽蔑の目を向け、大人達は関心を示さないふりをする。

そういった環境で欧米人の登山家を迎えてロッジを経営するのは
並大抵のことではない。あの女主人はどういう背景があるのか、
恐らく夫をキリマンジャロで無くしたのではないかと想像しみんなに話す。
それは冗談として受け入れられる。もちろん冗談ぽく話す。

でもあの環境で少なくとも僕はうまくやっていける自信はない。
そんなことを考えながら、しかし次の日はこの旅のメインイベントである
メルー山登山なので、荷物を整え9時頃には熟睡している。

続きを読む 
2006年9月15日 15:06

title 06tanzania: Ngorongoro crater 8th Wonder 03 (2006年9月14日)

DSC00547
NGOTOKITOKI PICNIK SITE.

クレーターの中は写真でも分かるようにほぼ平らだ。
長い年月をかけて周囲の山が削られ堆積したのか、
あるいは大昔湖の底だったのか、不思議なくらい平坦な環境。
これも不思議なのだが、高い木は存在せず、視界はクレーターの縁まで届く。
雨季と乾季、堆積した土壌の性質、草食動物、そういったものがジャングルに
なるのを防いでいるのかもしれない。

このクレーターにとりわけ来たかったのはわけがあって、
その閉鎖された空間が村上春樹の世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
を彷彿させたからだ。

もしかすると一角獣の頭骨が落ちているかも知れないし、
クレーターの中心には湖があってそこが唯一の下界への
通路かも知れなかった。

実際にはクレーターの中の湖はどこかへ吸い込まれ、
クレーター外の麓からわき出ているのだろう。
クレーター付近はやたらと緑が豊富でプランテーションの場所にもなっていた。

DSC00548
集合。

朝7時頃クレーターに向けて出発し、中に入ったのが9時か10時頃だろうか。
砂埃を巻き上げて3時間ほど走り回り、昼ご飯を食べた。休憩は湖の横で。

DSC00589
シマウマに近づく

ダチョウも見かけたが、実際に見るとあれだけ大きな鳥が
いるのはちょっと現実的でない気すらする。

クレーター内部は比較的天敵が少ないのか、
シマウマや水牛の群れは非常に数が多い。
恐らく彼らにとって一番の天敵は人間で、
自然保護地区を出た外の世界で普通に見かける動物は
マサイ族が所有する牛と、その牛たちを追う犬だけだ。

DSC00197
水を求めて。

ライオンと子ライオンが何かを食べている様子を遠くから1度だけ発見した。
それにしても、草を食べるだけで生きていける動物がこれだけいるのが
とても不思議。

DSC01929
クレーターから出る

2,3時間クレーター内を走って様々な動物を見た後、
明日のMeru登山に備えてArushaへ帰る。

DSC00317
さよならクレーター

続きを読む 
2006年9月14日 15:00

title 06tanzania: Ngorongoro crater 8th Wonder 02 (2006年9月13日)

IMG_0702
シマウマ

IMG_0706
ガゼル

IMG_0713
バッファロー?

DSC01877
ハイエナを見張るライオン

crossing
移動する水牛達

DSC01846
乾期のため干上がった湖とそこから立ち上る砂埃

IMG_0709
残り少ない水を求めて集まった大量のカバ

DSC01908
獲物を狙う鷹?

DSC01860
枯れた草原

bards across
渡り鳥が横切る

続きを読む 
2006年9月13日 16:45

title 06tanzania: Ngorongoro crater 8th Wonder 01 (2006年9月13日)

Ngorongoro crater、ンゴロンゴロクレーターは
ンゴロンゴロ自然保護区内にあり、世界遺産である。

ngorongoro_google_earth.jpg

当初山登りのみでここには行く予定ではなかったのだが、
どうしても行きたかったためスケジュールを縦横無尽にこねくり回し
行けるプランに無理矢理変更した。
(難解なパズルをはめ込むようなスケジューリングに自分が天才かと思った事は秘密。)

クレーターと言っても隕石がぶつかって出来たクレーターではなく、
火山が爆発したりした結果、2000m~3700m程の山が取り囲む
盆地のような地形。

動物は基本的にクレーターの内部から外に出ることは出来ず、
(実際車が通る道でも相当傾斜が厳しい。人間が道を作ってからは
動物もその道を利用すれば外に出ることは可能そうではある。)
独自の生態系が築かれている。

とは言っても生息しているのは中央アフリカでみられるごく普通の
動物のようだ。

車で向かったのだが、曇り空で自然保護区内に入ってからは
霧が出て視界が相当悪い。

DSC00147
霧の中に現われた観光客相手のマサイ族の村。

かなりブルーになって運転手に聞くと、これが結構当たり前の天気とのこと。
励ましているのか信用して良いのかよく分からない。

すると象が。
DSC01827
まだクレーターに入っていない。普通に草をはんでいる。近い。

やがて車は稜線を超え、クレーターの内部が見える。
壮大。とにかく壮大。写真では全く表現できないタイプの
風景が広がっている。後にも先にもこんな景色は見たことがない。
グランドキャニオンとかで感じるものとはなぜか違う壮大さ。

DSC01830

動物たちが点のように見えている。
車がクレーターの内部へ進んで行くにつれて雲が晴れる。
DSC00170

朝早かったため霧が発生していたのと、クレーターを囲む山が雲を止めているようだ。
すぐにシマウマの群れに遭遇する。

続きを読む 
2006年9月13日 15:25

title 06tanzania: Arusha to Ngorongoro (2006年9月12日)

ところでタンザニアの位置は宇宙から見るとこんな感じだ。
画面中心がタンザニアで、国境付近がほぼ赤道に位置する。
登山するメルー山はそこから若干南。

tanzania_from_space.jpg

ウラサの事務所で835ドルを支払った後、
運転手がNgorongoroクレーター方面へと車を走らせる。
運転手は突然町中で止まった後、何も言わず車を降り、
事務所でもらった米ドルを両替所で両替。おそらくここが
一番レートが良いのだろう。こういう、人を騙しているのにも
関わらず抜けている、馬鹿にするような行為がかなり頭に来る。

ウラサは運転手を叔父の息子、と紹介するが実際に彼に
聞くと全然違う、と苦笑。まるで適当である。

当初の計画ではLake Manyara Hotel泊で、Lake Manyara周辺の
サファリの予定だったが飛行機の遅延のためという理由で
勝手にホテルを変更され、サファリも「スネークパーク」に変更。

しかしスネークパークに到着してみるとあからさまに
観光客向け的なMasai Museumの隣で行く気にもなれず
キャンセル。

そのままホテルまで、2,3時間だろうか。当日の経路をGoogle Earthから。

06tanzania_1stday.jpg

途中に見かけた緑に覆われた土地はコーヒー農園で、
plantationだという。この単語は植民地という意味と大農園という意味を
持っており、運転手の言葉に皮肉が込められていたのかは定かでない。
必要なこと以外はしゃべらない。およそ客商売が向いているとは思えない
非常に寡黙な男だった。

後日Lake Manyaraはナイトサファリも可能で、非常に広大な湖だと知る。
まあそれは良い。泊まったホテル/ブーゲンビリアロッジはアフリカにしては
特に問題がない。ウェイターが僕らの写真を撮った後に、赤目を発見し
非常識的なまでに笑った事以外は。

おそらく地理的な問題で(周囲には特に何もない)客が少ないのだろう。
斡旋されたのだと思われる。

DSC01817

長時間のフライトとへんてこな緊張感、そして怒りで疲れたため
大量の蚊取り線香を焚いた気分の悪い空間で泥のように眠る。
ンゴロンゴロクレーターへの出発のため、朝6時に起きなくてはならない。

続きを読む 
2006年9月12日 17:05
 1 |  2 |  3 |  4 |  5 |  6 |  7 |  8 |  9 |  10 |  11 |  12 |  13 |  14 |  15 |  16 |  17 |  18 |  19 |  20 |  21 |  22 |  23 |  24 |  25 |  26 |  27 |  28 |  29 |  30 |  31 |  32 |  33 

Random Images>>


Copyright© 2004-2014 Yukito Inoue All rights reserved.
1 1 1 1 1 1